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4,000万円まで待てなかった。2,800万円で会社を辞めると決めた

会社を辞め、明るい出口へ向かうカウジのイラスト

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職場でマネーフォワードを開きました。

不動産を売った後の金融資産は、約2,700万円。その後の値上がりを含めると、約2,800万円になろうとしていました。

「あれ? これ、最近の上昇率のままいけばFIREいけるんじゃね?」

最初に浮かんだのは、そんな都合のいい考えでした。

もちろん、上昇相場がこの先も続く保証はありません。2,800万円の4%は年間112万円、月にすると約93,000円です。私の普段の生活費は月25万円ほど。税金や社会保険まで入れれば、退職直後はもっとかかります。

完全なFIREには、普通に足りません。

それでも、その数字を見たとき、目の前の仕事を我慢する理由が急に弱くなりました。

私はもともと、金融資産4,000万円まで増やしてからサイドFIREするつもりでした。しかし実際には、目標より1,200万円少ない2,800万円の時点で、8月31日付で会社を辞めると決めました。

準備万端だったからではありません。4,000万円になるまで、心身が持たないと思ったからです。

この記事では、年収が200万円上がった会社を1年で辞めると決めた44歳の私が、なぜ「正しい順番」を待たずに会社員を降りることにしたのかを書きます。

先に結論を言うと、私は誰にでも退職を勧めたいわけではありません。

ただ、会社員を続けながら副業を育てられない人にまで、「副業が安定するまで絶対に辞めるな」とは言いません。

家族と合意し、税金と社会保険を含めた生活費を確保し、失敗したときの撤退ラインを決めているなら、100点ではなくとも、50点くらいの状態で先へ進む方法もあると思っています。

目次

私は4,000万円でサイドFIREするつもりだった

当初の目標は、金融資産4,000万円でした。

4%で単純計算すると年間160万円、月約133,000円。足りない分を小さく稼げれば、会社員を辞めても暮らせるのではないか。そう考えていました。

ところが、退職を決めた時点の金融資産は約2,800万円です。

目標の70%。合格点にも届いていない感覚でした。

それでも退職を決めたのは、資産が2,800万円あれば一生働かなくていいと思ったからではありません。

「嫌な会社から離れても、すぐには詰まない」と思えたからです。

私にとって2,800万円は、FIREのゴールではなく、会社にしがみつく理由を弱くする金額でした。

現金300万円から資産形成を始めた

私が資産形成を本格的に始めたのは、2019年です。当時の年収は約500万円。複数の銀行口座に散らばっていた現金を集めると、約300万円ありました。

その300万円を自己資金にして、1件目の投資用不動産を買いました。

物件購入日購入価格自己資金金利の概算
1件目2019年5月31日1,000万円300万円約2.0%
2件目2019年10月31日1,180万円0円約2.1%
3件目2020年2月28日1,390万円0円約1.9%
4件目2023年10月31日1,190万円0円約2.2%

購入総額は約4,760万円です。

1件目のローンは約700万円。50万円貯まるたびに繰上返済し、年に3回ほど返しました。妻にも家計を一部分担してもらい、約3年で完済しました。

完済後、1件目からは月約40,000円が残るようになりました。そのお金と、それまで繰上返済へ回していた資金を2件目の返済へ移し、約300万円まで返しました。

ただ、途中から考えが変わりました。

資産を不動産へ寄せすぎて、手元の現金が薄い。さらに、管理の手間や実際の収支まで考えると、私にはインデックス投資のほうが合っているのではないか。

そこで繰上返済を止め、現金を確保しながらNISAで投資信託を買うようになりました。

2023年は旧つみたてNISAへ40万円。新NISAでは、2024年に約230万円、2025年に約220万円、2026年は360万円を入れました。

最初から最適解を選べたわけではありません。後から有利だと思う方法へ乗り換えただけです。

不動産4件の手残りは、年間約20万円だった

不動産を4件持っていると言うと、毎月かなりの家賃収入があるように見えるかもしれません。

実際の税引後の手残りは、4件合計で年間約20万円。月にすれば約17,000円でした。

1件目だけなら月約39,000円のプラスでしたが、ローンのある残り3件がその一部を食っていました。

もちろん、入居者の家賃でローン元本が減るため、現金収支だけで不動産投資の成果は測れません。それでも、物件のことを気にし続ける対価として、私には割に合わなくなっていきました。

特に3件目は、入居者の入居期間が想定より短い物件でした。

退去されれば家賃は止まります。次の入居者を募集し、クリーニング代を払い、空室期間を気にする。築年数も進み、床のきしみなどを直すために約20万円のプチリフォームもしました。

不動産の家賃は、何もしなくても毎月同じように入る収入ではありませんでした。

家賃からローン返済を引いて終わりでもありません。固定資産税、管理費、修繕積立金、募集費、クリーニング、空室、リフォーム、売却費用まで見て、初めて本当の手残りが分かります。

問題のあった1件を売ったら、残りも手放したくなった

私はまず、入退去が多かった3件目を売ることにしました。

購入価格は1,390万円。4社へ査定を依頼し、最終的に1,650万円で売却しました。売値は購入価格を約260万円上回りましたが、リフォーム費用や売買の諸費用があるため、260万円全額が利益ではありません。

もっと高い価格を曖昧に示す業者もいました。しかし、説明の辻褄が合わない、対応が不誠実、面談中の態度に敬意を感じない。数千万円の取引を任せる相手として不安だったため、断りました。

私が選んだのは、説明に一貫性があり、返信が速く、文書が丁寧で、価格と契約条件が明確な会社です。

査定を始めてから売却までは約3か月。長期保有に向かないと思っていた物件が、想像より早く、想像より高く売れました。

すると、残り3件を持ち続ける理由も考え直すようになりました。

売って初めて、自分の純資産が見えた

最初の1件を売った後、金融資産は約1,200万円になりました。

残り3件へ投入した自己資金は、合計約1,300万円です。売ればそのくらい戻ればいいと思っていました。

ところが複数社へ査定を依頼すると、ローンや費用を精算しても約1,500万円残ると分かりました。

残り3件を売る直前のローン残高は、合計約2,300万円。それらを精算し、売却後の金融資産総額は約2,700万円になりました。その後の値上がりで約2,800万円になりました。

私は3,000万円を計画的に貯めてから会社を辞めることにしたのではありません。

不動産を査定し、負債を精算した後の純資産を計算したら、会社を辞める選択肢があると気づいたのです。

不動産4件は、成功でも完全な失敗でもなく、私には必要な遠回りでした。

最初の3件は比較的よい時期に買えたと思います。4件目は、購入時期と融資方法がよくなかった。完済した1件目へ根抵当権を設定してまで買ったことを含め、失敗に近かったと思っています。

最初からインデックス投資を選んでいれば、今より資産が多かった可能性はあります。ただ、過去の相場を見て「あのとき買っていれば」と言い始めれば切りがありません。

私は今の時点で、自分に合う方法へ乗り換えることにしました。

年収が200万円上がっても、会社を辞めると決めた

今の会社へ転職したのは43歳のときです。

前職の年収は約600万円。転職後は約800万円になりました。全くの異業種への転職です。

1月に転職エージェントへ登録し、2月に数件の面接を受けましたが落ちました。その後は積極的に活動していませんでしたが、6月に声をかけられ、7月に面談して合格。9月15日に前職を退職し、翌16日に入社しました。

評価されたのは、特定業界の知識だけではありませんでした。

マネジメント、法務、業務改善、システム、プロジェクト管理。20年以上働く中で横に積み上がった経験です。

この転職経験は、「40代で今の会社を辞めたら、もう同じ水準では働けない」という不安を少し弱めてくれました。

同じ条件で再就職できる保証はありません。それでも、一度会社を離れたらキャリアが終わる、とまでは思わなくなりました。

それでも、心身が4,000万円まで持たなかった

待遇に不満があったわけではありません。年収も役職も上がりました。

しかし管理職として、自分が意味を感じられない対人調整や、他人の問題の後始末へ労力と神経を使う日が増えました。

残りの会社員人生を、この仕事で終えていいのか。そう考えるようになりました。

以前にはなかった変化も出ました。

午前3時ごろに目が覚め、普段は7時間ほど眠れていたのに、3時間ほどしか眠れない日がある。朝に動悸が出る。イライラしやすくなり、言葉が出てこない。同じ質問を繰り返したり、会社名を正しく書けなかったりする。勤務中は頭が冴えず、休日にも仕事が浮かぶ。

心療内科を受診し、適応障害と診断されました。最初に1か月、その後さらに1か月の休養が必要という診断書が出ました。

診断を受けて初めて病気に気づいた、というきれいな話ではありません。

私は受診前から、早く会社を辞めたい、辞めるきっかけが欲しいと毎日考えていました。診断を受けたときに思ったのは、「この理由をもって、もう辞められる」でした。

会社から離れても、元気になったら戻りたいとは思いませんでした。

4,000万円まであと1,200万円。待つのが正しい。それでも、そこまで心身が持たないと思いました。

だから私は、目標未達のまま8月31日付で会社を辞めると決めました。

傷病手当金がなくても、私は辞めていた

心療内科を受診する前に、動画で傷病手当金という制度を知りました。

私の場合、現時点の支給見込みは月20万円ほどです。普段の生活費は月約25万円なので、療養中に資産を大きく取り崩さずに済む可能性があります。

ただ、傷病手当金を受けられなくても、私は辞めていたと思います。

制度は退職の理由ではなく、療養する時間への不安を軽くする材料でした。

傷病手当金は、副業を育てるための資金ではありません。病気やけがの療養のために働けず、要件を満たす人の生活を支える制度です。私はまず療養を優先し、働ける状態になった後に、次の仕事や活動を考えます。療養中にブログ執筆などを行う場合も、活動内容や収入を事実どおり申告し、受給資格との関係を保険者へ確認します。主治医の意見は判断材料になりますが、最終的な支給判断をするのは保険者です。

制度の詳細は、協会けんぽの公式案内で確認できます。

家族への責任は、会社に居続けることではなかった

私は共働きで、子どもはいません。賃貸マンションに住み、住宅ローンも、親への経済的支援もありません。妻は基本的に、私の行動を尊重してくれます。

子どもの教育費や住宅ローンを抱える人より、会社を離れやすい条件だったことは間違いありません。私の2,800万円を、他の家庭へそのまま当てはめることはできません。

だからこそ、家族への責任は世間ではなく、当事者で決めるものだと思っています。

診断を受けた日に、妻へ体調と今後について話しました。

不動産を売れば金融資産は約2,800万円。生活費の大部分は、退職後も私が負担する。資産が減ったら再就職する。

妻と決めたのは、資産が2,000万円を下回りそうだったら正社員へ戻ることです。

妻からは、すぐ転職しなくてもいい、まずは体調を戻し、その後で好きなことへ挑戦すればいいと言ってもらえました。

家族に対する責任とは、安定した会社へ居続けることではありませんでした。

体調、お金、失敗した場合の撤退条件まで話し、妻と合意することでした。

正しい順番では、私は辞められなかった

一般的には、在職中に次の仕事を決め、収入の見通しを立ててから辞めるべきです。

正しいと思います。

私も何度か挑戦しました。しかし、仕事で疲れて帰り、「今日こそブログを書く」と思ってもやらない。休日は疲れを取るだけで終わり、また月曜日が来る。その繰り返しでした。

私は複数のことを同時に進めるのが得意ではありません。

だから、正しい順番を諦めました。

以前、深夜残業や早朝出勤をして、完璧すぎる資料を作る同僚がいました。

その人は、120%の労力で90点を取るタイプでした。私は、70%の労力でまず55点を出し、相手と交渉しながら60点の合格へ持っていくタイプです。

合格ラインが60点なら、90点まで上げるために使った30点分の時間を、次の仕事へ回したほうがいい。そう伝えたところ、働き方を変えるきっかけになったと聞きました。

今回の退職も同じです。

2,800万円は、私が考えていたサイドFIREの合格点ではありません。それでも、会社を離れて療養するための55点にはなりました。回復した後にどんな働き方を選ぶかは、その時点の体調と資産を見て決めます。

届かなければ、また正社員として働きます。

人生は、一度の決断で100点を取らなくてもいいと思っています。

次の仕事が決まるまで、絶対に辞めてはいけないのか

私は、誰にでもこの順番を勧めるつもりはありません。

先に会社を辞めるなら、最低でも次の三つが必要です。

1.配偶者・家族との合意

自分一人の問題ではありません。収入が減る可能性、どこまで資産を使うか、失敗したらいつ働くかまで共有し、当事者が納得していることが必要です。

2.税・社会保険込みで24か月分の生活費

現在の生活費だけを24倍してはいけません。

私も、日常生活費は月約25万円だと思っていました。しかし退職直後は、住民税、任意継続の健康保険、国民年金を含めると、月換算で約34万円になる見込みです。

月25万円なら24か月で600万円。月34万円なら約816万円です。

退職後の税金と社会保険を入れるだけで、必要額は200万円以上変わります。

3.心身の状態に応じた計画

心身が限界なら、副業より先に療養が必要です。

回復して挑戦できる状態になってから、確保した時間で副業を試す。療養期間と事業期間を同じものとして扱わないことも必要です。

この三つがない人へ、「先に辞めればいい」とは言えません。

それでも条件を揃えた人にまで、「次の仕事が決まるまで絶対に辞めるな」とも言いません。

在職中に次の道まで完成させられない人には、数字と撤退ラインを決めたうえで、いったん会社を離れて療養する選択肢もあります。

今日、自分が会社から何か月離れられるか計算する

会社を辞めたいのに、お金が怖くて動けないなら、いきなり3,000万円を目標にする必要はありません。

まず、次の二つを計算してください。

純資産

現金+投資信託+株式+売却可能な資産の手残り-借金・ローン

会社から離れられる月数

すぐ使える資産÷税・社会保険込みの退職後月間支出

私の場合、預金残高だけを見ている間は、自分が会社を辞められるとは思っていませんでした。

不動産を査定し、ローンと費用を精算した後の金額を出すと、金融資産は約2,700万円になると分かりました。その後約2,800万円になり、初めて「すぐには詰まない」と思えました。

計算して24か月以上離れられると分かったら、次に退職ラインと撤退ラインを決めます。

  • いくらあれば会社を離れるのか
  • いくらまで減ったら再就職活動を始めるのか
  • いくらを絶対に守るのか

その数字を持って、妻や夫へ本音を話してください。

「辞めたら終わる」という不安は、数字にすると「何か月なら離れられる」に変わります。

私は4,000万円まで待てませんでした。

私は2,800万円という55点で8月31日付の退職を決め、まず療養します。回復後に次の働き方を試し、資産が撤退ラインへ近づけば、また正社員として働きます。

準備万端ではありません。それでも、自分の人生くらい、自分の意思で決めることにしました。

同じ時期に会社へ行けなくなった状態については、44歳で会社へ行けなくなったときの記事に書いています。

43歳で年収が約200万円上がった転職と、その後1年で休職した経緯は、年収200万円アップでも転職成功とは言い切れなかった話にまとめています。

会社員を離れた後のキャリアを長い目で考えるようになった経緯は、『ロングゲーム』を読んで考えた次のキャリアの作り方で読めます。

※本記事は筆者個人の経験と、執筆時点の公開資料に基づく一般的な情報です。個別の投資・医療・税務・社会保険・法律上の助言ではありません。運用には元本割れや資産が尽きる可能性があります。傷病手当金などの制度利用は、加入先、医療機関、関係機関へ最新の要件をご確認ください。

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